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執筆者の写真rosakomori

コロナ回復者の体験談

コロナは毎日ニュースで騒がれているけど身近にはかかった人が一人もいない。治療した先生方も患者さん達の経過を見ている人はいない。一体コロナ感染者はどんな生活に戻るのかと思っていました。

数年会っていない元秘書のタチアネさんがコロナにかかったと聞いたのは3月末、まだ病気も治療法もまるで未知な時期!彼女の携帯番号を調べてもらい入院中と退院の日メッセージで激励しました。もう回復してから早いもので2ヶ月。経過を聞きに電話で話をしながら、この様な貴重な体験談、もし公表出来たら沢山の人に勇気を与えられるのだけど、と言ったら二つ返事で「全然構いませんよ!名前も写真も、勤務先もOK」と相変わらず清々しく勇気ある女性で感激しました。

それではタチアネさんの体験談です。彼女はサンパウロ周辺になるタツアペ地区(中心区から1時間ほど)の歯科医院で歯科衛生士として勤務。3月中旬職場の仲間の女性がイタリアから観光で帰ってきたばかりの友人と会ったと話していた3日後、その女性が発病。その3日後タチアネさん始め診療所スタッフが次々と発病。(その時期はウイルスは感染力が強くクラスターが発生していた)皆それぞれの医療機関に行き自宅養生で治した。悪化したのはタチアネさんのみ。

タチアネさんは3月20日に診療所の勤務中余りの頭痛と熱で近くの公共保健所で初診、風邪の症状と言われ薬を出され自宅に戻る。2日後身体中が痛く、今度は入っている民間の保険の病院に行きレントゲンを撮る。かなり肺に影が見られたが経過観察という事で抗生物質を出され自宅に戻る。更に3日後洋服を着ることも身体中が痛く、咳から血が出てきた。民間保険の勧めで当時雄一コロナ治療をしていた公共エミーリオヒーバス病院(PCR検査もここでしか出来なかった)に入院。

かなり重症化して酸素吸入が必要になったが、ICUは必要されなかった(空きはあった)。十日間で退院。子供達に会えたのは1週間後でその間は寂しくて1番辛い時期だったそう。退院して同居のご主人はすぐに感染してしまい、再会してからの息子さんも感染、近くに住む父親(68歳)も感染した。入院したのは父親のみで、やはりICUには行かず回復して退院。公共病院はどうだったかと聞いたら「最高なアテンドでした!私も父親も本当に皆に親切にしてもらいました」と感謝していました。

味覚が無くなると言うのは本当で、症状が回復したのは2週間後。肺にかなりの障害が残るという事。ズンバが大好きだけど、軽い運動でも半年間禁止されている。

それでも仕事には1ヶ月後復帰。障害を持ったお嬢さんがいて生活の為休んではいられない。息子さんが勤めている製薬会社はコロナで休業中、ご主人はコロナで失業中、公立学校のオンライン授業は障害児には不適と、タチアネさんが仕事とお嬢さんの勉強の面倒を見ていると言う、試練連続の日々。それでこの笑顔、それでこのレジリエンス、強さ、明るさ!本当に尊敬します。

そしてブラジルには他の国であるような陰険な人種差別はなく、コロナ感染者という偏見に苦しませられる事もなく(彼女の歯科医院はコロナ以前の繁盛に戻っている)、皆一生懸命生きていて本当にいい国にいるんだなぁと思わされた体験談でした!Muito obrigada, Tati pelo depoimento! Vc tem muita força interior sem perder a doçura e a alegria que são suas características. Estou muito feliz pela sua recuperação!






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